中道あんの不思議な考え方

ESP

「なぜそんなことをしたのか」「どこで道を誤ったのか」の追求は重要なのだよ?

引用は、ESSE-ONLINEから。
「年齢を重ねるなかで、人とのつき合い方や、日々の出来事の受け止め方が変わってきたという人も。今年、富山県へ移住し、ひとり暮らしを送る著述家の中道あんさん(60代)が、友人との出来事をきっかけに振り返った、「手放してラクになった考え方」についてつづります。2026/08/22

「終わったことは、終わったこと」と考える
今回、友人が電車を乗り過ごしたときも、私にとってはただ「起きた出来事」でした。
失敗やうっかりは、だれにでもあるもの。私は「なぜそんなことをしたのか」と振り返り続けるより、「じゃあ、これからどうしようか?」と考えるようにしています。
電車を乗り過ごしたら、次の駅で下りてタクシーを手配する。ICカードを見失ったら、土地勘のある私が探しに行く。起きたことを責めるより、そのときできることに目を向けてみる。
終わった出来事をいつまでも抱え込まない。そう意識するようになってから、以前よりも目の前のことに気持ちを向けやすくなった気がします。」「終わったことは、終わったこと。」

もっともらしいことを書いているが、これはおかしい。「なぜそんなことをしたのか」の追求は非常に重要であり、原因を把握しないと、同じ問題が、何度も何度も発生してしまう。効率が悪いのだ。「終わったことは、終わったこと。」と言いながら、何度も同じことが起きる。

「これからどうしようか」も重要だが、「なぜそんなことをしたのか」の追求も重要である。だから、この中道あんは、(海外のある組織の工作員になったことについて)「なぜそんなことをしたのか」と後悔している人生を送っている。だからこそ、それを考えないようにしている。そうですよね? でも、その組織から逃れることも、自分自身から逃れることも、どちらもできないのですよ?

あ、この文章を中道あん自身が読む可能性って、どのくらいあるのだろうか? 彼女が知らないであろう事実を1点書いておきましょうか。彼女の著作は、AMAZONで見ると8冊確認できる。表紙も帯も文字だらけだ。これがどういう意味を持つか、中道あんは知らないでしょう? そこで、最新作の「私らしく夢をかなえる魔法のことば」(発売日:2026/5/7)の表紙と帯の言葉、これを確認すると、すべてダブルミーイングになっていて、実は彼女がメンバーになっている組織から、自分に向けてのメッセージになっているのですよ? 多分、残りの著作もそうでしょう(そこまでは確かめていませんが、経験上、間違いないですね)。中道あんは、何をどこまで知っているのでしょうね。ただ利用されているだけだったりして。

話を元に戻すと、「起きたことを責めるより、そのときできることに目を向けてみる」も重要だが、起きたことには本人なりの責任があるはずで、その責任から逃れることはできないのだよ?

だからこそ、「なぜそんなことをしたのか」「どこで道を誤ったのか」の追求は重要なのだよ?

「自分にも他人にも完璧を求めず、過ぎたことは必要以上に引きずらない。年齢を重ねるなかで身についたこの考え方が、今の私にはちょうどいいように感じています。」

まぁ、物ごとはあきらめが肝心だとは言うが、あきらめが早すぎるのも問題でしょうね。あと、「完璧を求めすぎない」というのも程度問題である。自分がこのブログで指摘しているように、中道あんのエッセイは、問題点だらけであり、本人が書いているのか、ゴーストライターの工作員が書いているのかわからんが、これはもう少し、中道あんは完璧を追求したほうがいいよねぇ。

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