中森明菜の最大の武器は、崩して歌うこと、そのことによる、強力な呪縛力
中森明菜の「駅」は、竹内まりやの作品(作詞、作曲)で、1986年のアルバム「CRIMSON」(ワーナー)に収録されている。
後年、「駅」は竹内まりやによって、セルフカバーされたが、2人の表現が180度違う。
最近、思ったのだが、ポイントはこの歌詞だ。
「あなたがいなくても こうして 元気で 暮らしていることを さり気なく 告(つ)げたかったのに」
中森明菜は、本当にさりげない元気。表向きの元気。内面は違う。その複雑さを表現している。
一方、竹内まりやは、思いっきり元気であり、さりげなく告げるなんてのは嘘で、すごく元気でいるところを昔の彼に見せびらかしたい。
でも、歌詞は、「さり気なく 告げたかった」のだよ?
中森明菜が、小声だけど、崩して歌った「駅」と、竹内まりやが、大きな声で堂々と歌った「駅」の比較が、ネット上でも行われており、議論があるが、結論として2人の解釈が違うから歌い方が違う、というのが一般的だが、自分はそうじゃないと思う。
自分の解釈は、中森明菜「CRIMSON」の「駅」の歌い方は、1986年の作品なのにすでに崩して歌っている(行書体、草書体の歌い方)から、大きな声て堂々と(楷書体の歌い方で)歌っている竹内より、明菜の歌の方が呪縛力が圧倒的に強い、小声で歌っているのに猛烈に引き寄せられる、そのことにレビューする方々が気が付いていないだけ。アルバム「CRIMSON」の中では、中森明菜の歌い方は「駅」が一番、崩して歌っている。
つまり、中森明菜の武器は、「CRIMSON」発売当時は全盛期だったが、一般的には、高音の輝くようなビブラートをきかせた力強い歌唱だと認知されていたが、最大の武器は、後年にでてくる(でも本人も周囲も無自覚なようだったのだが)・・・
中森明菜の最大の武器は、崩して歌うこと、そのことによる、強力な呪縛力。
1986年の「CRIMSON」の「駅」で、明菜は早くも、崩して歌っている。その前から、明菜は、特にバラード系の歌で、崩して歌うことを始めていたのだが、その能力はメキメキ向上し、当時では、この「駅」でその能力が一気に開花したのだと思う。その後、明菜はこのような歌を歌うことがしばらくなくなり、次は、1988年の「Wonder」(ワーナー)収録の「不思議」をやはり崩して歌っている。
歌の上手い歌手が、崩して歌うと、どうなるか? 中森明菜の25周年記念のアルバム「バラードベスト」(ユニバーサル)で顕著なのだが、収録曲のうち2007年の新録分全部が、枯れているのに、崩して歌っているので、猛烈に呪縛力が強い。これは自分の感覚では、無意識領域に食い込んでくる、あるいは浸透してくる、そういうレヴェルの呪縛力ではないか、と個人的には思っている。(だから、売れる? かどうかは別だけど、間違いなく、芸術性は高まる。)
つまり、これは、書の達人が、行書体、草書体で文字を書くのと同じなのだ。「駅」の歌唱に話を戻すと、中森明菜は「駅」を行書体、草書体で歌っているが、竹内まりやは楷書体で歌っている。というか、竹内まりやは楷書体でしか、歌を歌えない。(自分は竹内まりやの「Expressions」というデビュー30周年の初のコンプリート・ベストアルバム(3枚組CD)を何度も聴いているが、すべての歌が楷書体で歌唱されている。)
繰り返しになるが、明菜が「駅」を、崩して歌っている(行書体、草書体の歌い方)ために、大きな声て堂々と(楷書体の歌い方で)歌っている竹内より、明菜の歌の方が呪縛力が圧倒的に強い、小声で歌っているのに猛烈に引き寄せられる、のはそのためだ。
なお、中森明菜「CRIMSON」のCDは、最近、ラッカーマスターサウンド盤になったが、これによって音質が目覚ましく向上したとか、小声で歌う歌声が聞きやすくなっているとか、歌声の明瞭度が上がっているとか、そういうようなことはほとんどありませんので、過度な期待はしない方がよろしいかと。
というか、旧盤「CRIMSON」の歌唱は、もともと特徴があり、バックの音楽とは、明らかに歌唱の音場感が異なっており、わざとそうしている。そのため、歌唱が少し分厚く、エコーがかかっており、蚊の鳴くような歌唱が聞き取りやすくなっていたのです。
新盤のラッカーマスターサウンドは、このバックの音楽と歌唱の音場感を一致させている、そのため歌唱が浮き上がらない、これは失敗では? ですから、旧盤をお持ちの方は、捨ててはいけません。
ラッカーマスターサウンド盤のCDの最大のポイントは、やはりボーナストラック「ミックジャガーに微笑を(オリジナル・バージョン)」の収録です。これが聞けただけでも満足です。ただ、CDの10曲目でラジカセから聞こえて来る曲と長さ的には全く一緒なので、期待し過ぎてもいけません。前奏がもっと長いのかなと思ったが、そうではなく、ラジカセから聞こえてくるものと長さは同じです。
カラオケもポイントが高いです。中森明菜の生活音が入った10曲目をどう表現しているのかにも興味があったのですが、工夫してますね。さすがです。というか、「CRIMSON」のカラオケを聴くとずっと聞いていられる。普通は、バックの音楽だけをフンフンと聞いてはいられないと思うのですよ、退屈で。でも、「CRIMSON」のバックの音楽は特別にクオリティが高く、フンフンとずっと聞いていられます。こういうアルバムも珍しいなぁ。あと、「駅」のバックの音楽は、失恋・失意の意図をもって作られているのが明確に分かります。
あと、明菜の「LOVEソングス&POPソングス」というBEST盤に収録されている「駅」は、「CRIMSON」からうまく加工処理され、明菜の二重唱になっており、その分、歌唱がボリューミーになって少し聴きやすいです。別テイクの歌唱と重ね合わせたのかどうかまではよくわかりませんが、「歌唱のこういうボリュームアップの方法があったのか!」と感心します。明菜本人の意向とは違うと思いますが、なかなか味わい深いものがあります。ちょっと聴きには気付かないと思いますが、よく聴くと二重唱に加工処理されているのがわかると思います。特に、96kHz、24bitのハイレゾ音源だとよく聴き取れます。
追記
中森明菜には、デビュー20周年を記念して発表されたセルフカバーアルバム「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」があるが、その中で「駅」がセルフカバーされている。これだけ、シングルではなのだが、上記「CRIMSON」の「駅」の解釈、歌唱やアレンジが、竹内まりやの夫の山下達郎に批判されたため、セルフカバーしたのだろう。
しかし、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」では、「駅」は、明菜は普通の声量で歌っているのだが、不思議と印象に残らない。これだったら、「CRIMSON」の「駅」の方が、小声だが、圧倒的に迫ってくる。なぜなら、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」の収録曲全体の歌唱が、ほとんど全く、崩されていないからだ。「駅」も普通の声量で歌っているのに、崩して歌っていないので、さらっと流れてしまう。もったいないことをしたなぁ。無自覚って怖いよね。
下の画像は、中森明菜「CRIMSON」のラッカーマスターサウンド盤CDです。


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