銅線の中を電流が流れるとは、どういうことなのか?

ESP

波動である電子にとっては、銅線とは、じゃがいもがどろどろに解けた、スープのようなものではないのか?

世の中の、というか、宇宙の物質は、ずべて分子からできており、分子は原子からできている。その原子が集まって、物体を形成しているのだが、たとえば二酸化炭素の分子は、CO₂で、Cと2つのOの間は、完全な真空状態だろう? 大気圧って、地表では手のひらに100kgくらいの重量がかかっている。それを何とも感じないのは、手の下にも、人体の中にも空気があって、同じ圧力で押し返しているからだ。
よく真空パックというものを見たりするが、物理学的に、完全な真空というのは作るのは非常に難しいが(素粒子1個が残っていても、本当の真空ではない)、簡便的な真空状態でも、パックがペッチャンコになる。大気圧に押されたからだ。
じゃあ、CO₂のCとOとOの間の空間は真空状態なのに、なぜ大気圧で潰れないのか? 大気圧で潰れれば、分子が崩壊し、CO₂が存在できなくなるはずだ。たかが気体の分子が、そんなに頑丈に作られているのか?

それで、分子がものすごく小さいのだから、それが集まって物体を形成しても、金属とか、コンクリートとか、地面とか、人間とか、こういう風、つまりこの世界の見え方なんだけど、このように見えるのはおかしい。
もっと、煙のようにはっきりしないスカスカの、何か、さわってもなんだか粒粒だなあという感じの、何かそういうものでなければならないと思うのに、全然そうなってはいない。

それは人体自身が分子でできているために、お互いが騙し合っているのだ。自分は言い切ってしまうが、世界がこのように見えたり、感じたりするのは異常である。

吉野 源三郎「君たちはどう生きるか」 (岩波文庫)より引用。

「問題は、電流とは何かということでした。北見君の考えでは、電線のような、あんな金属の固体の中を、何かある物質が流れるなんて、信じられないというのでした。『だって、第一、銅の針金の中には、何か物が通るような隙間がないじゃないか。おかしいよ。』

すべての物質が、顕微鏡でも見えないような小さな原子から出来ていること、──その原子が、また、もっと小さな電子の集りであること、──こういう小さなものを考えると、普通われわれが隙間もないと思っている物質が、実は隙間だらけのものであること・・・」

つまり、銅といっても、原子の集まりに過ぎず、空間だらけであり、電子が通れるのだと書いている。この作品は、1937年初出版であり、約90年前の本なのだが。

原子内部の空間というよりも、原子と原子の間の空間というか、そういうところを電子が通り抜けるのだろうか? でも、世の中には、電気を通さない物質=絶縁体がある。なぜ、ここを電子が通れないのか?

さらにネット情報。「HUGKUM 小学館」さんサイトより引用。

「天然の物質は全て、「原子」と呼ばれる細かい粒子が集まってできています。また原子の中には、電子・陽子・中性子といった、さらに細かな粒子があることが分かってきました。電子は通常、陽子と中性子で作られる「原子核」の周りを、電子殻と呼ばれる軌道に沿って飛び回っています。ただし一部の物質や真空中では、電子殻から離脱して自由に動ける電子があります。

原子の構造。原子核のまわりを電子が電子殻に沿って回っている。この電子殻の軌道から飛び出した電子が「自由電子」。

このように電子のうち、原子にしばられずに自由に動けるもののことを、自由電子と呼ぶのです。自由電子に対して、原子内でしばられて自由に動けない電子は「束縛電子」と呼ばれます。

自由電子は宇宙空間などにも存在しますが、通常は金属内部の電子を指します。全ての金属は、自由電子を持つと考えてよいでしょう。・・・金属の原子核は電子を引き付ける力が弱く、電子が離れていきやすい性質があります。

金属が電気を通しやすい理由は、自由電子にあります。電子はマイナスの電気を帯びた粒子でもあり、その粒子が川の流れのように一斉に同じ方向へ移動することで、物質内を電流が流れます。ただし電子が移動するには、原子の束縛を受けない自由電子でなくてはなりません。

「自由電子が集まって流れている」状態が、電気の正体といってもよいでしょう。金属の内部には電気の元ともいえる自由電子がたくさんあるため、他の物質に比べて電流が流れやすくなっているのです。

(引用ここまで)

さらにネット情報から引用。

「電気をほとんど通さない物質は「絶縁体」と呼ばれ、ゴムやプラスチック、ガラスなどが代表例です。絶縁体とは、自由電子がほとんど存在せず、電流が流れにくい物質のことを指します。電子が自由に動けないため、電気抵抗が非常に高く、通常の電圧では電流がほとんど流れません 。ただし、非常に高い電圧がかかると「絶縁破壊」が起こり、電気が通ることがあります 」(引用ここまで)

じゃあ、電源ケーブルに入力された電子と、出力された電子は、基本的には別の電子なのだ。じゃ、何、家庭用の電源ケーブル内部に1万個の自由電子があったとしたら、それが全部吐き出されてしまったら、コンセントから入力された電子がそれに置き換わるってこと? 電気をちょっと通して、すぐ電源ケーブルをはずしたら、電源ケーブル内部の自由電子のうち50%はもともと電源ケーブルにあった自由電子で、残りの50%は発電所から来た自由電子に置き換わっているとか、そういう意味なのかな? 随分、便利な世の中だな。そんなに簡単に置き換えができるのかね? それで、電源ケーブルの中の自由電子の数は、一定で、変化しないのかね? それとも変化するのかね? これ小学館のサイトであり、それなりの学歴がある人間が書いていると思うが、自分で書いていて、疑問に思わないのかね?

あのさぁ、オーディオを趣味でやっている自分からすると、根本的な疑問があって、発電所から自宅のコンセントまで、何百kmもの長い距離を電力会社のケーブルを伝わって流れてきた電流があるのだが、それを、自宅コンセントとオーディオを、たかだか1~2mほどの電源ケーブルで接続するのだが、この短い電源ケーブル(のメーカーや製品)によって、音質が明らかに変わる。電源ケーブルの金属素材、皮膜素材、接続部品などの違い、いろいろ要素はあると思うが。そもそも、電流というものは自由電子が流れてできるだけだと言うのならば、金属だったらほとんどなんでもいいでしょ。でも、電源ケーブルによって音が変わるんだよね。なぜだと思う?

それに、電子というのは、上記のような図は誤りであり、電子雲ではなかったか。

Wikipediaより引用。

「原子を理解する際のモデルについて、旧来のラザフォード模型では、電子は太陽のまわりを公転する惑星のように、原子核のまわりを廻っているとされた。しかし、その後の研究によって、電子には不確定性があり、電子は粒や点のようなものではなく「雲のようにぼんやりと存在する」ことが明らかとなった。すなわち、電子の存在は、確率密度関数で表される空間的な広がりがある。このような電子の有り様を電子雲と呼ぶ。」(引用ここまで)

自分は、銅線などに電流が流れることの説明に欺瞞があると感じる。電子は素粒子であり、本当は説明ができないのに、今まで、電子を素粒子だとは知らずに、大学教授たちが知ったかぶりで説明してきたために、電子について本当のところはわからない、と言い出せないだけで、本当のところはわかっていない、そう思う。だって電子のことが説明できれば、素粒子のことも説明できるでしょうが。でも実際は量子力学は仮説にすぎないのであって、であるならば、素粒子である電子を説明できるわけがないのだ。

従って、自分は電流が流れることについて、上記の説明(小学館サイトの旧来のラザフォード模型、自由電子、束縛電子など)を信じられない。というか、高校までの古典物理学はそれはそれで有効らしいが、ミクロの世界を扱う量子力学とどうつりあいをとるかが課題になっているようだが。

電子は素粒子であることが判明しており、となると、「粒子と波動の二重性を持つ」ことになる。あるときは粒子、あるときは波としての性質が現れる。それで、観測するまでは確率として存在しているだけだが、観測するとそこに粒子が確認される。観測すると粒子の性質になるが、観測しないと波動の性質になる。

今日は雨天・曇天で涼しく、最高気温20度というので、昨日知人からたくさんもらったじゃがいもを使ってカレーを作ったが、カレールーを入れる時に鍋の中を見て、汁が白っぽいのでまさかと思ったが、このじゃがいもは煮込んでいると、跡形もなく崩れて、溶けてしまうことがわかった。このじゃがいもは、皮を剥いた後、切るときに妙に硬かったので、まさか溶けやすいとは思わなかった。

銅線の中を通る電流というものは、電子は粒子ではなく、波動として伝わっているのではないのか? ただ測定・観測すると粒子化するので、そこに電子の粒がいることがわかり、自由電子としか説明しようがない、という無理やりな説明になっているだけで、本当は銅線を波動として伝わっているだけではないのだろうか? 波動にとって、銅線とは(銅線だって素粒子でできているのだから)じゃがいもがどろどろに解けたスープのようなものではないのか? それで、電源ケーブルによって音質が変わるのは、それが、じゃがいものスープだったり、コーンスープだったり、たまねぎのスープだったりするので、波動の伝わり方が微妙に違って、音質の差異になるのではないのだろうか?

絶縁体というのは、電子の波動を相殺する波動を持つ物質ではないのだろうか?

誰だっけ、この世界はイデア世界の劣化COPY版だと言った哲学者がいる。イデアを提唱したプラトンだ。

ネット情報から引用。

「イデア論とは、プラトンが説いた『現実世界の対象はイデアの不完全な写しに過ぎず、真の実在はイデアにある』とする哲学思想です。」(引用ここまで)

つまり、この世界のとりとめのなさ、この世界のすべての物質が「粒子と波動の二重性を持つ」素粒子で構成されているというのは、簡単なインクで印刷された印刷物と同じであり、この世界は、イデア世界の劣化COPY版だと思う。そう思いませんか?

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