アニメ映画「1000年女王」と「幻魔大戦」の異様な類似性について

COMIC

「1000年女王」と「幻魔大戦」は、比べれば比べるほどに共通点がものすごく多い。

40年以上前の作品だが、アニメ映画の明比正行監督「1000年女王」(1982年劇場公開)と、りんたろう監督「幻魔大戦」(1983年劇場公開)は、劇場公開は1年違いなだけで、超能力描写は抜きにすると、主に地殻変動によって地球の文明が崩壊するという、ものすごく似ているアニメであり、どちらも失敗している点でも、似ている。

特徴を挙げると・・・。
「1000年女王」・・・太陽系の一族であるラーメタル星の地球接近によって、地球全体を襲う大地震、火山の噴火、津波、隕石群の落下、関東空洞船浮上、空中戦。

「幻魔大戦」・・・宇宙の1千億の恒星系を消滅させてきた幻魔。その幻魔一族(3匹だけど)の地球襲来によって、東京とNYを襲う大地震、富士山の噴火、ハドソン川の洪水、火焔龍との闘い、超能力描写。

共通点は、①どちらも、原作が長くてしっかりしているのに、尺を短くすることに難があり、脚本がかなり弱いこと。②キャラクターデザインが独特で、いいとも、悪いとも言いにくいこと。③作画のクオリティにばらつきがあること。

あと、衣服の扱い。④女主人公だけが衣服を変える。「1000年女王」では、雪野弥生から、1000年女王へ衣服が変身する。「幻魔大戦」では、ルナ王女は、NYからロック歌手のような衣服に変更される。

さらに、⑤男主人公(「1000年女王」では雨森始。「幻魔大戦」では東丈)だけは、黒い詰襟の学生服をずっと着ている点も共通している。始は自宅=雨森電子鉄工所が反物質反応で大爆発したので、着替えがなく、ずっと詰襟の学生服を着ている、という背景はまあまあ理解できるが、それ以上に、雪野弥生=1000年女王が学校の教師であり、始はその生徒である、という意味を最後まで持ち続けるためだ。

しかし、東丈は、高校から帰宅して、夕方、自宅で音楽を聴き、その後の夜、新宿で彼女(沢川淳子)に会う、という時も詰襟の学生服のままというのは異常だ。普通だったら、私服に着替えるだろう? 同じ高校の生徒である沢川はもちろん私服に着替えているのだから。別の日、沢川の家に、夜、淳子を訪ねる東丈も、黒い詰襟の学生服を着ているのも異常だ。東丈=黒い詰襟の学生服、という記号になっている。これは姉の三千子が幻魔ザメディに殺されるので、喪服という意味があるのだろう。同じりんたろうが監督した「銀河鉄道999」のメーテルの黒い衣装も喪服だが、メーテルの衣服は可憐だが、東丈の学生服は野暮ったい。あと、沢川邸爆発の後、深夜の遊園地の三千子とのシーンでは、ここだけは東丈は冴えない私服である。それは、幻魔ザンビに襲われたことと爆発で、学生服がズタズタにされたから着替えるしかなかったということだろう。

⑥人が空を飛ぶことについての製作者の意識の低さも共通している。「1000年女王」は、なぜ始にゼロ戦の操縦技術があるのかの説明がない。「幻魔大戦」は、人がそのまま飛行することの納得感が低い。ただ人が飛んでる絵を描いているだけだ。そもそもルナ王女はいつから飛べるようになったのか? 最初から飛べるなら、搭乗しているジャンボが墜落しようと関係ないじゃないか? 宇宙の意識体フロイと接触したから、飛べるようになったのか? だから、ルナ王女は、海面のジャンボの残骸の上に降りることができたのか?(そのシーンの描写が無いので不明だ) ではなぜ、ルナ王女は、前半では、自力で飛ばずに、飛んでいるベガに乗っていたのだ?

⑦武装が弱いことも共通している。「1000年女王」では、地球の味方をする1000年盗賊のふたつ星という大型の戦闘艦が登場するが、武装は対空砲火の小型のレーザー砲ばかりで、ミサイルなどは全然撃つことなく、決戦兵器があるのかないのか、対艦戦闘能力があるのかないのかわからないまま、敵に攻撃されて退場していく。これならTVアニメ(「新竹取物語1000年女王」)に出てきた小型のふたつ星の方が強かった。

「幻魔大戦」では、ベガはまず(シナリオでは、10万度だかの)光熱線シャワーをエネルギーボールに向けて放つが、上空へ打ち上げた何かからそれが出てくるのだが、描写がテキトーで説得力が全然なく、エネルギーボールはバリアを張って防御するので効果がない。弾かれた光熱線シャワーが降り注いで周囲の瓦礫が溶けていくのだが、とてもとても10万度の熱線が降り注いだようには見えず、やはり、この作品の大きな欠点である、温度設定がテキトーすぎる。次にベガは空間震動波をエネルギーボールに放射するが、なぜか今度はバリアがない。しかし、いかんせんベガは2~3mの身長しかないので、攻撃も弱く、エネルギーボールの異次元への転送に時間がかかり、幻魔ザメディが分離して地上に残ってしまうし、そのザメディがすぐ近くにいるのに何もしないで逃げられてしまうというアホぶり。早い話が、武装している「1000年女王」ふたつ星も、「幻魔大戦」ベガも、役立たずであり、物語的には不要だ。

なお、「幻魔大戦」で、ベガがいないと、ソニーを救出した後、少なくとも、エネルギーボールはNYに存在するままになるが、かまわない。だって、地震と洪水でNYは廃墟となり人間はいないのだから。そういうところに、エネルギーボールが1コあっても、そのままでかまわないでしょうが。だから、東三千子死亡の原因となる、エネルギーボールの異次元への転送作戦をしなければよいのであって、だからベガは不要なのだ。

⑧特殊能力を生かしていないという点も共通している。そもそもラーメタル人である「1000年女王」は、普通のラーメタル人とは異なるはずなのだが、ここでは、歴代の1000年女王の事業を引き継いで関東空洞船を建設、指導者ラーレラと交渉する、ただの建設大臣、外務大臣でしかなく、特殊設定(TVアニメでは強力な超能力がある)を全く生かしていない。ただの、そこいらへんにいる美人としか描かれていない。だから、指導者ラーレラに頭が上がらない彼女の何が「女王」なのかがピンとこない。

一方、「幻魔大戦」ではテレポート能力を持つソニー、ヨーギンの力を全く生かしていない。瞬間移動あるいは異次元を移動できると思われる幻魔ザメディがNYから東京に向かったと推測されるのだから、東丈はそのまま飛んで東京に向かう(ジェット機並みのスピード)のではなく、ソニーやヨーギンに可能な距離をテレポートさせてもらいながら、瞬間移動を繰り返して進んだ方がはるかに速い。そもそも、ヨーギンは、ルナ王女のテレパシー放送を聞き、インドかどこからか、NYに一番最初に馳せ参じたメンバーなのだから、そのテレポート能力は半端ではないのであり、生かさないほうがおかしい。

⑨テーマの不在も共通している。「1000年女王」は、なぜか空洞船が、関東空洞船1コしか存在しない(原作COMICでは世界各国の主要都市の空洞船が多数登場する。NY船もある。)ので、これでは、「大規模災害からの人類救済」というテーマ自体がわからなくなる。「幻魔大戦」は、逃げる人間は少し描いているが、人類全体がどうなっているのか、生きているのか死んでいるのかが全く不明なので、そういう状況で幻魔と戦う必然性がどこまであるのか疑問であり、「幻魔からの人類救済」というテーマ自体がわからなくなる。

⑩途中で登場人物が一気に増えるのだが、それを増やす方法が、テキトーという点も共通している。

⑪(上級の)敵のうち、敵を甘く見ていた奴が、一番最初に接触してきて、違う相手によって一番先に殺される点も共通している。「1000年女王」では、新1000年女王「交代の準備をしなさい。交代の拒否ですね? そういうことなら、この私と戦う用意をしておきなさい」→指導者ラーレラによって殺されミイラ化する。「幻魔大戦」では、ザンビ「いくら幻魔大王の命令でも、たかが小娘とガキだぜ」→小娘でもガキでもない、東三千子の操るキッチンのガスレンジの炎で焼き殺される。

⑫見た目と本体は違うという点も共通している。「1000年女王」では、「ラーメタル人は、死ぬと姿が変わる(=ミイラになる)。春が終わると、本当の姿(=ミイラ)に戻る。」という台詞がある。つまり、ラーメタル人の本当の姿はミイラであり、生きている姿の見た目と本体は違う。「幻魔大戦」では、「奴ら(幻魔)には固有の形がありません」という台詞があるが、キャラデザインも作画も本体の形があるが、人間に憑依するので、見た目と本体は違う。

⑬死霊(あるいは死人の残留思念)がラスボスを倒す点も共通している。そして、⑭最後のラスボスとの決着のつけ方がよくわからないというか、なぜ決着がついたのかが不明瞭な点も共通している。さらに、⑮最後に登場人物が生きているのか死んでいるのか、よくわからないことも共通している(「1000年女王」は1000年女王と、指導者ラーレラであり、この作品では死んでいるように見えるが、後続の作品では2人とも生きている。「幻魔大戦」は球体となったベガ)。また、前述のように、登場人物以外の地球人類はどうなっているのかが全然わからない。

人類のうち、登場人物の肉親ということでいえば、⑯男の主人公が、つまり、「1000年女王」では始が両親の死について、「幻魔大戦」では東丈が姉の三千子の死について、彼らがこだわるだけで、その他の登場人物は、自分の肉親の生き死にすら全然こだわらないという点も共通している。⑰当然、登場人物は、人類が生存しているのか絶滅しているのかについても、何のこだわりがないどころか、疑問すら持たない。

従って、⑱地球全体の地殻を含む地質環境及び自然環境が、最後、どういう状況になっているかも全然わからないが、人類の文明がほぼ崩壊しているのだろうという察しはつくということも共通している。

そして、⑲サントラは非常に有名なアーティスト(「1000年女王」は喜太郎。「幻魔大戦」はキース・エマーソン。)によって作られ、⑳シンセサイザー演奏されている(「幻魔大戦」は、一部、オーケストラなどの演奏あり)こと、㉑主題歌は英語詩で、米国人の女性シンガーが歌っていること、㉒サントラが当時は販売されていたのに、その後、間もなく全然手に入らなくなったことなども、すべて共通している。

そして、㉓小山茉美(まみ)が声優として出演している点も共通している。「1000年女王」では新1000年女王。「幻魔大戦」ではルナ王女。他にも共通して出演している声優がいるが、自分は小山だと思う。「幻魔大戦」以降、りんたろう監督の劇場用アニメには必ずと言っていいほど小山が常連の声優として出演している。それで、小山がりんたろう監督作品に初めて出演した「幻魔大戦」以降、りんたろう監督の評価はどんどん下がっていくのだから、小山は刺客として送り込まれた可能性がある。

このように、「1000年女王」と「幻魔大戦」は、比べれば比べるほどに共通点、類似点がものすごく多い。以下にもまだ類似点があり、ナンバーを付けたので数えると全部で25個も類似点がある。この類似性は、不思議と言うか異様なほどだ。一年遅れで「幻魔大戦」を作ったメンバーが、ほどほどの「1000年女王」を参考にしたので、「幻魔大戦」もほどほどになった? それとも、たまたま偶然そうなった? この記事の最後に明らかになるが、「1000年女王」も「幻魔大戦」も、一種のハルマゲドンを描いているために、小山茉美のパワーで、妨害された可能性が高い。だから、この2つの作品は、異様なほど高い類似性を見せながら、同じ経路で失敗しているのだ。

ただし、相違点もある。「1000年女王」はメカニック作画監督が金田伊功(かなだ よしのり)氏なので、戦闘シーンが上手い。火山などの爆発も上手いし、巨大な関東空洞船の上昇シーンも上手い。が背景美術は下手すぎる。隕石群は、見た目は「宇宙戦艦ヤマト」(旧作)の遊星爆弾そっくりなのに、爆発力がものすごく小さすぎて、このシーン自体が必要なのか疑問だ。あと、彩色が、巨大なメカニックは真っ黒とか、真っ茶色に塗られており、センスを疑うが、金田氏の原画では影をつけているのに、これでは明暗が冴えない。さらには、背景画が明るいので、透過光が映えない。

「幻魔大戦」は、背景美術は上手いが、キャラデザインが独特なので、作画がやっとであり、感情移入できるような絵柄になっていない。幻魔がどうやって地殻変動を起こしているのかの説明や描写がないという点は、「1000年女王」を下回る。戦闘と言う戦闘は最後だけ? 戦闘は途中途中であるにはあるのだが、エネルギーボールと最後の火焔龍との戦いを除くと、個人対個人の戦いなので、やはりスケールが小さい。エネルギーボールも、大きさの描写や表面温度の設定がテキトーで、スケールというか重量も感じないので、「超時空要塞マクロス」の戦闘艦や「風の谷のナウシカ」の巨神兵のような巨大さを感じない。前述のように、温度の設定がテキトーで、溶岩流がただのオレンジ色の液体にしか見えない。火焔龍との闘いは、スペシャルアニメーション担当の金田氏が描いているが、これだったら、りんたろう監督の前作「さよなら銀河鉄道999」(1981年劇場公開)の機械化帝国の女王プロメシュームの作画の方が上手かった。

見どころは、「1000年女王」は関東空洞船の上昇シーン、ほぼこれだけ。「幻魔大戦」は最後の火焔龍との闘い、ほぼこれだけという、㉔見どころがほぼ1コしかないことも共通している。スケール感では「1000年女王」かもね。

と考えると、角川アニメ第一弾の「幻魔大戦」よりも、落ち目になってきた松本(零士)アニメの「1000年女王」のほうが、まだ面白いかなという感触はある。ただ「1000年女王」は、DVDでの販売だけなので、BDにしてもらったら画質が良くなると思う。BS12で放映されたバージョン(再放送を望む)の方が、DVDよりも絵が綺麗だった。

というか、東映動画で松本アニメ「銀河鉄道999」の2作品を担当、ヒットさせたりんたろう監督が抜けてしまい、落ち目になった松本アニメ「1000年女王」と、りんたろう監督を迎えて、力が入っているはずの角川アニメ第一弾「幻魔大戦」は、どちらも地球の文明崩壊を描いているのに、内容的にどっこいどっこい、ほどほどなのだよね。㉕配給収入は、「1000年女王」が10億1000万円、「幻魔大戦」が10億6000万円であり、配給収入もどっこいどっこいでしょ? りんたろう監督は、「さよなら銀河鉄道999」(配給収入11億5000万円)までは松本アニメを担当していたのだから、角川に移らずに、東映動画で「1000年女王」を製作したほうがよかったんじゃなくって?

追記

上記で、小山茉美は、りんたろう監督のもとに、刺客として送り込まれた可能性があると書いたが、その裏付け情報が出てきた。

Wikipediaから引用。

「小山茉美(こやま まみ)は、日本の声優、女優、ナレーター(=Narrator)。愛知県西尾市出身。青二(あおに)プロダクション(=Production)所属。以前の芸名は小山 まみ。」

は、ダブルミーイング(=2つ以上の解釈が可能な意味づけのこと。)になっていて、もう一方の意味は、

→ 「海外の諜報組織Aの犬。りんたろう作品の評価(を)下げる悪魔。

ARMAGEDDON(=Armageddon:ハルマゲドン)を描く能力があるから。

KILL(=kill:殺す)

きみに、真実を言おう」

となります。ダイレクトですね。

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