中道あんの謎 その4

ESP

「小さな声かけ」=「最高の習慣」って、まるで中学生の女子生徒並みの感覚。

引用は、ESSE-ONLINEから。
60代ひとり暮らしの「最高の習慣」。孤独を感じず、人づき合いが断然楽しくなる
「ひとり暮らしは気ままで自由!」そう思って始めたものの、ふとした瞬間に孤独を感じたり、人とのつながりに寂しさを覚えたりすることも。60代でひとり暮らしを始めた、著述家の中道あんさんもそのひとり。今回、中道さんが「やってよかった」と感じている、人づき合いの習慣について教えてもらいました。2026/03/31

「孤独を感じやすい生活のなかで、自然と身についたのが「自分から声をかける」という小さな習慣でした。声をかけるといっても、挨拶程度。よく行くカフェで「おはようございます」「こんにちは」と笑顔で挨拶したり、商品を受け取るときに「ありがとうございます」とひと言添えたりするように。
すると驚くことに、今ではなにも言わなくてもお水のグラスを出してくれるように。

カフェだったら、何も言わなくても水ぐらい、フツーに出てくるよね。でも、商品を受け取る時に、水は出てこないよねぇ。え? 商品を受け取る時に水が出てくるようになったの? それは確かに驚きべきことだなぁ。でも、異常だよなぁ、その店はおかしいよ? 次はコーヒーにしてもらったら?

「また、趣味でやっている畑仕事で利用している貸し農園では、隣の人に「今日はいい天気ですね」、犬の散歩をしている人に「かわいいですね」などの声かけをしています。
たわいもないひと言ですが、そこから話が弾むきっかけになります。
そして、ささやかな世間話程度ですが、続けていると不思議なことに顔見知りが増えていきます。定食屋さんのホール係さん、カフェのスタッフさん、農園仲間、犬の散歩仲間…。」

「顔見知り」とは、あまり親しくはないが互いに顔を知っている程度の関係を指す言葉です。「ささやかな世間話程度ですが、続けていると不思議なことに顔見知りが増えていきます」とあるが、これは、ごくフツーのことであって、どこが不思議なの? 中道あんの感覚が、摩訶不思議だよね?

「私にとって、ひとり暮らしは「自分から世界にドアを開く練習」です。
だれかと一緒にいれば、かき消されてしまいそうな日常の小さな1コマも、ひとりだからこそ、自分自身が世界とどうつながるかを発見するきっかけになる、と感じています。」

この女、何言ってるの? 「私にとって、ひとり暮らしは「自分から世界にドアを開く練習」です」と書きながら、その直後に「だれかと一緒にいれば、かき消されてしまいそうな日常の小さな1コマも、ひとりだからこそ」と人づき合いを否定することを書いている。じゃあ、「かき消されてしまいそう」になるから、他人なんか一緒にいないほうがいいじゃないか。無理しないで、「小さな声かけ」なんかしないほうが、断然いいってことじゃないのかねぇ? 矛盾しているよね、この女。

「もし、ひとり暮らしで少し寂しさを感じたら、「小さな声かけ」を始めてみると、日常がほんのり温かいものに変わるかもしれません。」

いいですか? このエッセーのタイトルは、「60代ひとり暮らしの「最高の習慣」。孤独を感じず、人づき合いが断然楽しくなる」ですよ? 「小さな声かけ」=「最高の習慣」って、まるで中学生の女子生徒並みの感覚で笑える。さらに、「人づき合いが断然楽しくなる」と書いているのに、「だれかと一緒にいれば、かき消されてしまいそうな日常の小さな1コマも、ひとりだからこそ」と、人づき合いを否定する矛盾したことを書いている。60代でこれでは、問題があるんじゃないの?

それでさ、同じ中道あんの「60代ひとり暮らし、「やめてよかった習慣」3つ。ものと予定を減らしたら、暮らしも心もラクに」2026/03/18 というエッセーも、ESSE-ONLINEにあり、前述のエッセーと同じ2026年3月のものよ?

で、ここには、「60代になって、自然と怒らなくなりました。ひとり暮らしだと、人との接触回数が減るからかもしれませんが、それでも人に対して「なんやねん」って思うことは正直あります。けれど「怒ってもしゃーない」と思えるようになったんです。」「人に対する期待を手放すことができれば、怒りや嫉妬などという心の乱れをコントロールできるようになる、と実感しています。

ホラ、中道あんは、他人になんか、何も期待していないでしょ、他人になんか、全然興味がないのですよ、この女は。

「60代からのごきげんは、おだやかに「整える」。たすより減らす。がんばるより、余白を残しておく。乱れる前に整えておく。ちょっとメンタルが落ちているときは、公園を散歩するか、お気に入りのカフェに行ってぼーっとするか。移動して気分を変えることが、すぐにできる私にとっての対処法です。

ホラ、中道あんは、基本、単独行動であり、それがごきげんなのよ? 他人なんか目じゃないというスタンスでしょうが。だから自分は、上記で言ってるの。「「かき消されてしまいそう」になるから、他人と一緒にいないほうがいいじゃないか。「小さな声かけ」なんかしないほうがいいってことじゃないのかね?」って。本当に当たっているでしょう?

さらに、同じ中道あんの「60代、「やめてよかった習慣」5つ。自炊、人づき合い…見直したら心がラクに」2025/06/28 というエッセーも、ESSE-ONLINEにある。

「なんとなく終わる、というのはゴールを決めずに寝る時間まで作業するというやり方です。つまり、ゴールのないレースのような働き方でした。

そうすると「やった!できた!」という達成感や成功体験を得にくいので、自己肯定感が高まらず…。だから「忙しい」と愚痴のようなことを言ってしまうのです。時間がたりないと思っていたときほど、じつは「自分にとって大切でないこと」に多くの時間を使っていました。

・毎日スーパーで買い物
・なんとなく開くSNS
・シャツのアイロンがけ
・なにがなんでも手づくり料理
気の乗らないつき合い

思いきってそれらを見直してみたら、時間がぽっかりあきました。その余白があると、心に余裕が生まれ、アイデアもわくし、行動も自然に起きます。「~すべき」「こうあるべき」を手放して、本当にやりたいことだけやっていたら、「忙しい」が「生きがい」に変わっていきました。

ホラ、上記では「もし、ひとり暮らしで少し寂しさを感じたら、「小さな声かけ」を始めてみると、日常がほんのり温かいものに変わるかもしれません。」と書いていた中道あんが、「気の乗らないつき合い」はぶった切るのよ、すると、「心に余裕が生まれ」「生きがいに変わっていきました」と書いているのよね。結局、中道あんは、何が言いたいわけ? 矛盾しているでしょ。どこかおかしいんじゃないの、このオバさん。

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