植物好きは、植物よりも自分が好き?

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お金持ちが好きな「盆栽」は、植物虐待

NHK「趣味の園芸」という不思議な番組がありますね。高齢者の父が好きで見ているので、たまに付き合いで見ることがあります。

「趣味の園芸」では、何か、違う植物同士を、一つの大きな植木鉢に「寄せ植え」することがすごく多いです。何かというと、すぐ寄せ植えする。これ、見映えがいいのはわかるのですが、後々の管理が大変になると思うのです。でも、もう何が何でもレヴェルで、バカの一つ覚えレヴェルで、植物の寄せ植えをする。

これ、寄せ植えするよりも、植物を、それぞれの元々の小さい鉢に入ったまま、好きなように、ただ、並べればいいだけの話なのではないのか? そのほうが管理がずっとラクなのではないのか? 並べ替えも簡単だし。それでは鉢が小さいからと言うのであれば、それぞれを少し大きい鉢に植え替えればよろしい。でも、そうすると、「趣味の園芸」という番組で、ほぼ、やることがなくなるので、その簡単なことをしないだけなのでは、と思います。

園芸研究家や庭師などが出演し、寄せ植えを自分で行ったり、見て褒めたり(基本的に、絶対に褒める)するのですが、まあ、NHKから出演料が出るので、おとなしくやっているのでしょうが、見ている自分からしたら、愚かな行為に見える。「自分がバカに見えるかもしれない」と、本人たちは考えないのか? あるいは、家族・親族から「お前、バカじゃないのか?」と言われないのか。余計なおせっかいかもしれませんが。まあ、カネが入れば、それでもいいのでしょうな。

「趣味の園芸」では、他に「しゅみえんサロン」という不思議なコーナーもあり、視聴者が撮影した植物の写真を送って、番組の中で紹介し、後で、優秀な写真には、〇〇賞とかを贈る、そういうものです。そもそも、その植物はどこにあった、誰が所有し、栽培している植物なのかが全然わからない。つまり、写真を撮影した本人が栽培している植物とは限らない(少なくとも、NHKとしては確認する手段がない)。そういう写真でも、それでいいのか?

植物が好きな人の一部には、ひとのものは自分のものみたいな、おかしな習性があって、上記の「しゅみえんサロン」もそのうちだと思います。特にひどい事例は、高山植物の持ち帰り、これ、植物好きの人はやりたがりますよね。だいたいは、国立公園など、天然記念物などで禁止だと思いますが。植物が好きだから、自然が好き、だから、自然を大切にする、人間的にできた人だ、そうとは限らないのですね。逆に、低劣な人間が混じっていたりする。

何というか、植物好きの人の中には、植物を自分の都合のいいように利用して、自慢したい、自分の地位を高めたい、そういう人が沢山いるような気がする。例えば、珍しいとか、立派な、植物をひとに見せて、自己顕示欲を満たそうとする。高齢者にも沢山いると思います。いや、特段やることがない高齢者だからこそ、沢山いると思います。高齢者だから人格者だ、とは限らない。

その最大の事例が「盆栽」だと思います。植物の枝に、太い針金をグルグルに巻いて上には成長させない、それで幹を太らせる、ある意味、というか、全面的に「植物虐待」。同じことを、人間や動物に行ったら、通報されるレヴェルですよね? これはどこまで、人道的に許されるのでしょうか?

盆栽は、品物にもよりますが、基本的に高額であり、一種、お金持ちの象徴ですよね? 自分の地位を高めるというか、地位の高さを象徴する一つのアイテム、自己顕示欲の塊というか。
盆栽は、それこそ学校とか、議員会館や議員大会でも、壇上の一番目立つところに置かれていると思いますが、盆栽は植物虐待の上にできているものだ、という認識を、教師や議員などが持っていない。それは、いつも彼らが他の人間を虐待しているから、気が付かないのかな?

壇上の、目の前の盆栽が、「虐待」を象徴していることに気が付かず、ただの、お金持ちの、権力者の一つのアイテムだと思い込んでいる彼らは、日本が「自分の思いのまま」に動くと信じて、権力をふるっている。しかし、市民は、盆栽ではないのだ、太い針金でグルグル巻きにされるわけにはいかない、虐待されるわけにはいかない。もっともらしい演説を行う彼らの目の前の壇上に、「虐待」の象徴である盆栽が置いてある限り、日本の市民の未来は明るくないかも・・・。あくまでも個人の意見です。

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