先日、中森明菜の44周年セルフカバーアルバム「AKINA NOTE」(ワーナー)が発売されたばかりで、その内容は素晴らしい。
一方、表題の「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド」(ユニバーサル)は、中森明菜のデビュー20周年を記念して発表されたセルフカバーアルバム(2002.12.04発表)。AMAZONの紹介文には「ビッグバンド・スタイルによるアレンジで数々の名曲/代表曲を新鮮に聴かせる1枚」とある。
これ、どちらも、中森明菜のセルフカバーアルバムですが、ファンの皆さんは、2つを聴き比べてみることをお勧めします。どちらがお好みですか?
「歌姫ダブル・ディケイド」は、原曲とアレンジは変えてあるものの、歌い方そのものは、まあ、全盛期を過ぎているので、声が多少伸び切らない、声が出切らない部分はあるものの、かなり原曲に近いレヴェルで歌っています。発売当時の日経エンタで「歌唱力が落ちていない」とも評価されました。
一方、先日発売された「AKINA NOTE」はすべてジャズアレンジになっており、歌い方そのものは、「歌姫ダブル・ディケイド」から20年以上経過するのですから、もっと声が枯れている、もっと声が伸びないというのは仕方ありません。しかし、ここで重要なのは中森明菜の歌唱はただ、年齢を重ねただけなのか? いや、実はそうではない。。
ここでは、中森明菜の歌唱のリズムが一種独特で、伴奏のようなジャズでもないし、かといって原曲の歌謡曲風でもない。一種、明菜リズムと表現するしかないリズムで、これはある意味、明菜は全曲を崩して歌っている。
これは、ジャズは表向きであり、「AKINA NOTE」は、中森明菜が崩して歌うことによる、強烈な呪縛力の作品である。
力が抜けているとか、枯れているとか、全然そうじゃないんだ。
書の達人が、行書体や草書体で書くのと同じだ。
中森明菜の25周年記念のアルバム「バラードベスト」(ユニバーサル)の収録曲のうち、2007年新録分が全部、枯れているのに、猛烈に呪縛力が強いのと同じだ。
そして、「AKINA NOTE」は、「バラードベスト」より、ずっと明るく歌っているのに、聴き手を強く呪縛してくる。
近年の中森明菜の最大の武器は、崩して歌うこと、そのことによる、強力な呪縛力。今まで本人も周囲も、どうやら気付いていなかったようだ。その証拠に、ユニバーサルから、中森明菜40周年を記念して、多数のアルバムが再発売されているのに、肝心の「バラードベスト」は再発売されておらず、現在はCDをAMAZONでは入手できません。
でも、ワーナーは、そして今は、明菜自身も、そのことに気が付いている。自分はそう思うのですよね。
一番わかりやすいのは。「駅」かな。「AKINA NOTE」には残念ながら収録されていませんが。「歌姫ダブル・ディケイド」の中で「駅」がセルフカバーされている。これだけ、シングルではなのだが、中森明菜が初めて「駅」を収録したアルバム「CRIMSON」(1986年の作品)があり、その中で明菜は「駅」を小声で歌っている(「CRIMSON」自体がそういうスタンスのアルバムなのだ)が、「駅」の解釈、歌唱やアレンジが、竹内まりやの夫の山下達郎に批判されたため、セルフカバーしたのだろう。
しかし、「歌姫ダブル・ディケイド」でセルフカバーされた「駅」は、明菜は普通の声量で歌っているのだが、不思議と印象に残らない。これだったら、「CRIMSON」の「駅」の方が、小声だが、崩して歌っているので、圧倒的に迫ってくる。なぜなら、「歌姫ダブル・ディケイド」の収録曲全体の歌唱が、ほとんど全く、崩されていないからだ。「駅」も普通の声量で歌っているのに、崩して歌っていないので、さらっと流れてしまう。もったいないことをしたなぁ。無自覚って怖いよね。



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