父は軽度知的障害者 自分は毎日が精神修養

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家族の話で恐縮ですが、自分(男性です)は父と同居して2人で暮らしています。というか、自分が在宅介護で面倒を見ていた認知症の母が亡くなったので、自分は父の世話をしながら暮らしています。父は後期高齢者ですが、ただの老人ではありません。父は、自分自身では、まともな人間だと思っているフシがありますし、障害者手帳があるわけでもないのですが、実際は父は軽度知的障害者だと、自分は、LUCIFERに教えてもらいました。

そう考えると、自分の人生で、父は稼ぎがものすごく悪い人(超零細企業に勤めて、給料がものすごく悪いのに、本人は何とも思っていない)であるだけでなく、とことん、自分の足を引っ張ってくる、とにかく、自分の人生を滅茶苦茶に妨害してくる人なのだが、全く反省がなく、父は自分はまともだ、普通だと、そう思っている。

お馬鹿さんは、自分のことを決して馬鹿だとは思っていない、まともだと思っている。自分で自分のことを馬鹿だと認識できる人間は、お利口さんだ。お馬鹿さんは決して、自分のことを馬鹿だと認めないので、馬鹿はわかる。

父は軽度知的障害者とはいえ、親族に本当の知的障害者がいるのだが、それと比べて、確かに症状は軽いといえば軽いのだが、その一面、本当の知的障害者よりも現れている症状が重い一面がある。まず、普通のスーパーにもコンビニにも、全く買い物に行けない(だから、毎日、3食の準備は自分がしなければならない、洗い物も、片付けも)。

父は、ほとんど調理もしない(父が食べたいために、何もなければ朝の不味いみそ汁だけは作る。それだけ)、洗い物もしない。掃除(部屋、キッチン、トイレ、浴室など)をしない(掃除機に一度も触ったことがない)。

さらに父は、電子レンジ、ガスレンジの魚を焼くグリル、洗濯機、こういった製品の操作方法が全然わからない。介護をしない。トイレはものすごく汚す。葬式や法事では勝手にお客様になってしまい、何も手伝ってくれない。来客対応もしない。

とにかく、父は、日常生活や介護や法事の、99.9999%は自分に押し付けてくる。それなのに、自分にありがとうという礼の言葉もなければ、おいしいという礼の言葉もなければ(物価が高いし、寒いとこたえるので、時々、自分は調理をする、それなりの腕だと思っている)、今日ぐらい休めとかいうねぎらいの言葉(認知症になった母の面倒を、父の面倒と、並行して自分が同時に見始めた約6年前から、自分は1日として休日がない。正月から年末まで、365日休日なしがもう約6年も続いている)も、今日ぐらい1日休んで遊んで来いという言葉も、一切ない。つまり、自分は自宅に約6年間、軟禁状態。

まあ、父が年金を生活費に入れているから(自分は少し早めに退職して、認知症の母の面倒を見ていたので、その後は無職ですが、生活費の一部は入れている)、そういう面はあるのだが、父の無関心・無感謝・無能ぶり、それはある意味、自分に対する強烈な妨害行為だ。

(自分の情報探査によると)CIAは、自分の子供の頃から、ずっと自分を監視・妨害しているのだが、そのCIAから、父は後天的に、軽度知的障害者にされた可能性はあるのだが、親族に本当の知的障害者がいるので父から遺伝したのではと疑われるので言えない。父は、後天的に軽度知的障害者にされたはずなので遺伝はしない、と自分はわかっているのだが、ではなぜ、どうやって、後天的に軽度知的障害者になったのかと聞かれると、実はある組織に妨害されたフシがあって・・・とは言えない。

まあ、父は、もともと少しおかしかったのではないかと、自分としては疑っている。お利口さんがおかしくなれば気が付くけれど、お馬鹿さんがもっとお馬鹿さんになっても、誰も気が付かない。親族も、周囲の人間も、父のことを普通の老人だと思い込んでいる。だから、父を、(証拠もなく)軽度知的障害者だと言えないが、もし言っても「それは認知症では?」と言われるに決まっているし、軽度知的障害者で大変だといっても、「そのうち認知症になるから」と言われるだろう。でも、前述したように、お馬鹿さんがもっとお馬鹿さんになっても誰も気が付かない、父が認知症になっても、誰も気がつかない、そういう可能性もあると思う。もしや、すでに認知症だったりして? そういえば、父は寝る前にいつも長々とトイレに入る(父のトイレはいつも異常に長い)のだが、その時、父はトイレで(あるいはキッチンでも)1人で何かブツブツと、長々と話しているが、気持ち悪いので、自分は、父が何をしているのかを聞かない。

とにかく、軽度知的障害者と理解されていない父の世話をする毎日は、自分の日々の精神修養だ。本人が一番やりたくないことをするのが、最も修行になると聞くのだが、そういう意味では、自分は本当に、毎日が修行だ。

もう少し書き加えれば、上記のことを行いながら、「彼ら」に監視・妨害されながら、情報探査というか文字変換というか、一種の人に言えない膨大な作業をこなしつつ、このブログを書き始めたので、その意味では修行の内容が、また一段階、レベルアップしてしまった。これは、普通の僧侶というか神父というか、そういう聖職者の修行のレベルを、はるかに超えている、そう思います。自慢話ではなく、聖職者も、こういう修行をすればよいのです。

以上、ただの愚痴でした。

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