明菜が崩して歌うことによる強力な呪縛力の作品
自分はCDで音楽を聴くのは、10年以上ぶりかも。いつもは、ネットワークオーディオで聴いているから。そこで、AMAZONで早速届いた、「AKINA NOTE」のCDをすぐに全曲、聴きました。
中森明菜は、60歳くらいで、いい声を出そうとしている。でも、ちょっと聴きには、あまり声は伸びない、ユニバーサル時代よりも、声はまあまあ出ている部分もあるが、全体的には、ちょっと枯れている、ように聴こえる。
そして、歌を、ファンに届けようという気持ちはあるが、歌詞そのものへの執念も枯れている。
つまり、中森明菜は、ここで、全曲を、解脱の境地で、歌っている。
これは長年のファン向けの商品であり、若い視聴者には向かない商品かな? 若い頃のBEST盤を持っているから、買わなくていいかな?
いや違う、実は「AKINA NOTE」は、芸術作品なのです。
この作品では、中森明菜は1つの声だけで歌っているようだ。曲によって声色、声質を変える、ということもしない。しかも、ほぼ全曲、ミディアムテンポ。
全曲の編曲はジャズということだが、色のないジャズで、どこという特徴に欠けている。まあ、曲によっては、イントロを聴いて「これは何の曲だ?」と思うものもあるのだが、明菜が歌い出すと何の曲かがわかる。そういう意味で、伴奏に新しい表現というものは確かにある。
それで、中森明菜の歌唱はただ、年齢を重ねただけなのか? いや、実はそうではない。。
明菜の歌唱のリズムが一種独特で、伴奏のようなジャズでもないし、かといって原曲の歌謡曲風でもない。一種、明菜リズムと表現するしかないリズムで、これはある意味、明菜は全曲を崩して歌っている。
これは、ジャズは表向きであり、
つまり、「AKINA NOTE」は、中森明菜が崩して歌うことによる、強烈な呪縛力の作品である。
力が抜けているとか、枯れているとか、全然そうじゃないんだ。
書の達人が、行書体や草書体で書くのと同じだ。
中森明菜の25周年記念のアルバム「バラードベスト」(ユニバーサル)の収録曲のうち、2007年新録分が全部、枯れているのに、猛烈に呪縛力が強いのと同じだ。
そして、「AKINA NOTE」は、「バラードベスト」より、ずっと明るく歌っているのに、聴き手を強く呪縛してくる。
近年の中森明菜の最大の武器は、崩して歌うこと、そのことによる、強力な呪縛力。今まで本人も周囲も、どうやら気付いていなかったようだ。その証拠に、ユニバーサルから、中森明菜40周年を記念して、多数のアルバムが再発売されているのに、肝心の「バラードベスト」は再発売されておらず、現在はCDをAMAZONでは入手できません。
明菜が、小声だけど、崩して歌った「駅」(ワーナーのアルバム「CRIMSON」収録)と、竹内まりやがセルフカバーした「駅」の比較が、ネット上でも行われており、議論があるが、結論として2人の解釈が違うから歌い方が違う、というのが一般的だが、自分はそうじゃないと思う。
自分の解釈は、中森明菜「CRIMSON」の「駅」の歌い方は、1986年の作品なのにすでに崩れている(行書体、草書体)から、大きな声て堂々と(楷書体で)歌っている竹内より、明菜の歌の方が呪縛力が圧倒的に強い、小声で歌っているのに猛烈に引き寄せられる、そのことにレビューする方々が気が付いていないだけのこと。アルバム「CRIMSON」の中では、中森明菜の歌い方は「駅」が一番、崩して歌っている。
明菜の、この中では最も新しい、ユニバーサル時代の、「Days」「I hope so」であっても、原曲より、「AKINA NOTE」の方がいい。崩して歌っているから、呪縛力が強い。
ということは、明菜が崩して歌うことによる強力な呪縛力に、本人も周囲も自覚的になっているようだ。めでたし、めでたし。
追記
中森明菜には、デビュー20周年を記念して発表されたセルフカバーアルバム「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」があるが、その中で「駅」がセルフカバーされている。これだけ、シングルではなのだが、上記「CRIMSON」の「駅」の解釈、歌唱やアレンジが、竹内まりやの夫の山下達郎に批判されたため、セルフカバーしたのだろう。
しかし、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」では、「駅」は、明菜は普通の声量で歌っているのだが、不思議と印象に残らない。これだったら、「CRIMSON」の「駅」の方が、小声だが、圧倒的に迫ってくる。なぜなら、「Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド~」の収録曲全体の歌唱が、ほとんど全く、崩されていないからだ。「駅」も普通の声量で歌っているのに、崩して歌っていないので、さらっと流れてしまう。もったいないことをしたなぁ。無自覚って怖いよね。


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