足の裏ではなく、顔に書いてあるから、わかる。
謝罪会見でよく、「・・・の方々には、心からお詫び申しあげるとともに」とか、「多大なご迷惑をお掛けしましたこと、心よりお詫びいたします。」とかって聞きますよね。
でも、「心から」と言う人に限って、「心から」言っている感じが全く伝わってこない。ただ、「心から」と発音しているだけにすぎない。なぜ伝わってこないのか。顔を見ればわかる。「俺は、全然、謝る気はねぇ。原稿に書いてあるから、そうしゃべっているだけだ」って顔に書いてあるから。足の裏に書いてあったらわからないけど、顔に書いてあるからわかる。
それから、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。〇〇様の信頼を少しでも早く回復できるよう、全力を尽くして参りますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど・・・」とかって聞きますよね。
こういう人は、全力なんか尽くすわけがない。いつも全力を出し尽くしている人だけが、全力を出せるのであって、そういう人は問題をそもそも起こさない。全力を出したことがない人が「全力を尽くす」と言うのだ。だから、あてにならないよな、できて「半力」じゃないですか。全力なんていいながら、いつもと同じ。だから何度でも問題が再発する。
それから、「この度のことで〇〇様の信頼を失ってしまいましたが、これからは誠意をもって努めて参りますので・・・」って聞きますよね?
今まで、誠意がなかったのに、急に誠意なんて出てくるわけがない。どこを探しても、誠意なんて、あるわけがない。もともと誠意なんて持ち合わせていない人間なのだから。誠意なんて、そういう、一見かっこいい言葉が出せる人は、誠意がないから出せるのです。普通の人は「そもそも、誠意ってなんだ?」と考えるから、「誠意」という言葉は滅多に使いません。だからバレるんですよね。
どれも、その場しのぎの言い逃れ。謝れば済むと思っている。考えが甘いよな。少なくとも、頭を丸めて(坊主にする)、それから、みっともない下着姿になる、全裸の方がいいか、それで土下座しながら、原稿を一切読まないで、謝罪会見にのぞめ、それが基本中の基本だと思いますね。
つまり、メールや電話や、あるいは暗号による謝罪は、今のままでは全然だめだ、ということです。この基本ができていないから、うわべだけで済まそうとする。それを許してはいけないのです。相手に眼の前に来てもらって、相手には頭を丸めて(坊主にする)、それから、みっともない下着姿になる、全裸の方がいいか、それで土下座しながら、原稿を一切読まないで、謝罪してもらう、それが基本中の基本、そう思いますな。
そのうえで、賠償金の話ですよ。
まあ、人間のやることだから問題が起きるのは、ある意味、仕方がないとはいえるのです。でも、謝罪が必要になっても、その謝罪に心がこもっていなかったら、ただの演技会+うそ800でしょうが。労力と時間の完全なる無駄です。
そもそも、無能が問題を起こし、謝罪すら無能が行っているのが現状です。本当は、地球上に無能な人間は一切不要なのだが、なぜ無能が存在するのでしょうな。それを生かしていく意味はどこにあるのか? まあ、知的障碍者など、器質的に問題がある場合は別ですよ? ここの話は、本人の怠惰などで自らすすんで無能になっている人間の話ですから。
人にきちんと謝罪する能力は有能な人間にこそ存在する。謝罪にも能力が必要なのだが、もともと無能な人間は、謝罪も満足にはできない。謝罪後の対応も、全力を尽くす、誠意を見せる、なんてどれもうそですからね。無能には何も期待できません。だから、無能な人間が問題を起こし、無能な人間が百万遍、謝罪してきても、相手がひたすら迷惑するだけで、何の意味もないのです。
あとですね、聞きかじったところによると、7月に設立する国家情報局の職員って、「国家情報局の職員」だって言ってはいけないらしいですよ?
じゃ、家族にも、親戚にも、ご近所にも、友人にも、ずっとうそをつくわけ? 器用な人じゃないと務まらないよなあ。自分だったら、ついうっかり言ってしまいそうだもの。居酒屋で酒でも飲んだら、つい、口走ったりなんかして。友人にも自慢したいじゃない。
ところで、別記事にも来たのだが、国家公務員、このなかで(Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種関係なく)有能な人間というものは、どの組織でも同じでしょうが数が限られていて、各省庁が手放そうとはしないですよね? そういう状況で、新しくできた省庁(この場合は局)というのは、どういう人間で構成されているのでしょうか? 新規採用などがあるにせよ(政治家による公務員叩きが常態化し、新規採用もめっきり少なくなっています)、ほぼ余剰人員で構成されると理解したほうがいいのかな? 早い話が、各省庁からいらない人間(言いすぎかな?)を出して、新しい局を作るのですよね? 違うのかな? それとも、(多分)在日米軍にあるCIAの日本支部から、移転するのでしょうか? そうすると、ほとんど米国人ですよ?
一般的に、国家公務員と言えども、職員には有能もいれば、いわば無能もいるはずで、絶対に問題を起こすけれども、国家情報局の問題は一切報道されない。
もし、国家情報局における謝罪の記者会見の機会があれば、やってみれば面白くなりそうなのになぁ。うそをつくのがうまいから、すごく「心から」「全力で」「誠意で」って本物っぽく聞こえるのだろうな。でも、上手いけど、うそなんだよな。そういう人生って、生きていて何の意味があるのか? 一体、俺は何をやっているんだろう、何のために存在しているのだろう、と自問自答するような、哲学的な人にはできない仕事なんだろうなあ。かと言って、馬鹿の方がいいのかというと、馬鹿の方が上役は扱いやすいが、お利口さんの方がいいに決まっているし、難しいね。
それに、スパイAにはスパイBが張り付くはずだから、ずっと監視されるのだろうなあ。でも、そのことは、当人には教えない。基本ですよね?
これは、世の中全般に言える話なのだが、「わからないことは、教えてもらって当然だ」と思っている人が多いが(だから、無能が多い)、逆に「教えてもらって当然だ、と思っている人に教えることは、本当に教えたことにはならない」、さらに「教えなければわからない人には、教えてもわからない」とも言うし(だから、有能は、あまり人に教えない)、これは真実なのです。
あるいは、そういう事柄にも気付いていなかったりして。なかなか大変な商売だなあ。


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