LUCIFER と SATAN の関係(考察)

ESP

とうとう、この話題に入らなければなりません。このブログの話題は、自分だけでなく、LUCIFER、PLUTOが関与している。

最近よく言われる世界の暴君、世界の指導者(だいたいわかりますか?)、その人物に、SATANは憑依している(信じるも信じないも、あなたのご自由です)。一方、LUCIFERは、自分に憑依している。憑依対象者の例えば生活レヴェルが、あまりに違いすぎるのですが、魔王というものはそういうものでしょうか。
でも、自分は(最初は驚きましたが)LUCIFERが悪者である、という風にはどうしても思えないのですよね。そう誤解されているだけではないのか。自分が関与しているから、勝手にそう思うのかもしれませんが。確か陰陽思想だったか「陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる」という言葉があります。その「陰極まれば陽になり」の陽の部分が、LUCIFERではないか、自分は、そう直観しているのです。

そして、自分=LUCIFERを監視・妨害している「彼ら」(CIAです。)と、高市首相のダブルミーイングの所でも書いた(日本を裏から支配する)「海外のある組織」というのは同じ組織であり、SATANの配下です。SATAN配下の組織が、なぜ、自分=LUCIFERを監視・妨害するのか、それはLUCIFERを恐れているからに他なりません。今も、というか、24時間体制で、監視・妨害しています。すごい念の入り方で、一種の必死さを、感じるのですよね。逆に、LUCIFERが、SATANを恐れている気配は感じませんね。ただ自分の身を案じて、ある意味、SATANとその配下の組織についての対応や表現に気を使っている、そういう気配は感じます。

LUCIFERが憑依している自分を、監視・妨害すること、これは人間として許されるのか? いくらSATANの命令とはいえ、「彼ら」はどう思っているのでしょうね。だって、LUCIFERとSATANは、ある意味、同一の存在でしょう? LUCIFERに対する無礼は、SATANに対する無礼と同じだ、そう思いませんか? 「彼ら」は、SATANの命令に従いながら、SATANを裏切るように誘導されている(=罠にはまっている)、そうは思いませんか? もっと分かりやすく書くと、SATANの命令には従わなくてもOUTだし、従ってもOUTなのですよ、そう思いませんか?

そして、話は戻りますが、LUCIFERは自分を徹底的に鍛え上げます。SATAN配下の組織の監視・妨害を受け入れたのも、それが結果的にもたらすものがLUCIFERにはわかっていて、自分をわざと監視・妨害させ、自分のある特殊技術のレヴェル向上、テレパシー能力の開発、文章能力の向上、さらに精神修養と、徹底的に自分を鍛え上げてきます。だから余計に、自分は、LUCIFERを悪者には見えず、霊格的に巨大な指導者というか、大天使として感じるのです。

自分は、あるいは、SATANをも、LUCIFERは、ある意味で支配しているのではないか、そう考えたりします。

突然、アニメ映画の話になって恐縮ですが、これはたとえ話です。

りんたろう監督の「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」の機械化帝国の女王プロメシューム=SATAN、娘メーテル=LUCIFERだと、自分は勝手に解釈しています。基本的に、惑星メーテル(=惑星LUCIFER)も、惑星大アンドロメダ(=惑星SATAN)も、メーテル(=LUCIFER)と鉄郎(=天使軍)(まあ、超自然現象が一部絡んだりしますが)によって崩壊します。

それから宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の湯婆婆(ゆばあば)=SATAN、銭婆(ぜにいば)=LUCIFERであり、「ハウルの動く城」のハウル=SATAN、カルシファー=LUCIFERであり、「崖の上のポニョ」のポニョ=SATAN、グランマンマーレ=LUCIFERだと、これらも、自分は勝手に解釈しています。

そうすると、SATANは確かに大きな力を持っているのだが、その力の源泉は、あるいは制御は、LUCIFERが握っている、そう思えるのです。そして、どちらも、封印をしてはいけない存在だ、とも思うのです。(ついでに言えば、「さよなら銀河鉄道999」の終盤で、プロメシュームの命の火は消えてしまい、メーテルは肖像画に消えていく、これはどちらも「封印」の表現であり、だから、このあと、りんたろう監督作品は、売れなくなった。一方、宮崎駿監督の作品では、SATANもLUCIFERも、絶対に封印しない、だから大ヒットを飛ばし続けるのだ。自分はそのように理解しています。)

SATANとLUCIFERが、これから何を、世界にもたらすのか、自分にはわかりませんが。どうなるのでしょうね。

2026年4月19日 追記

日記を確認したら今年の1月5日に書いているのだが、自分に訪れた認識では、この世界は地獄の一種なのだ。地獄界の中でも、上の方にはあるような気がする。だが、いずれにしても地獄の圏内の世界なのだ(世界の実情を見ても、そう思いませんか? 現実世界は、天国よりも地獄に近い、そう思いませんか?)。

この世界は、皆が思い込んでいるように天国と地獄との丁度、中間にあるわけではなく、どちらかといえば、地獄よりの世界、つまり、地獄圏内にある世界なので、当然、その主といえば、LUCIFER=SATAN=暗黒王になる。

自分が崇拝しているのは、神社の神様、菩薩様(観音様)、仏様などであり、崇拝の対象は特に変更しなくていいと思う。神道、仏教は、多分、影響を受けないのだろう。LUCIFERは、ある意味、自分自身なので、今は自分の崇拝の対象としてしなくていいのだろう。

逆に、唯一絶対神を崇拝する(と思う)キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などは、本当は問題があるのではないのだろうか? だって、この世界は地獄圏内に落ちていると自分には感じるのだから。まあ、あくまでも主観ですが。創造主にお祈りする価値は、依然としてあると思いますが、果たして、創造主に祈ってご利益はあるのか? 本当は、暗国王であるLUCIFER=SATANにお祈りを捧げないとご利益がないのでは? あ、でも、この文章は、LUCIFER=SATAN=暗黒王に書かされた可能性があります。各人のご自由に解釈してください。ちょっと、自分は責任をとれません。

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