ユニコ 魔法の島へ [Blu-ray]

ESP

魔法を使っても幸せにはなれないことを明確に描く作品

1983年の作であり、40年以上も前の作品だが、画質も音質もよい。

以下、ネタバレ含む、注意。

冒頭、西風がユニコを運んでくる。街並みの光と影が大きく揺れ動く。つまりこれから、光(ユニコ)と影(ククルック、トルビー)の力関係が大きく揺れ動く、ということの暗示なのだろう。1作目にはなかった演出だ。

大きな満月の夜、雲がすごい早さで流れる空を背景に、すごく高い木の上で、1人でフルートを吹くトルビー。動物たちが聴きに集まって来るほど素晴らしい音色だが、曲想は物悲しい。父は努力してこそ幸せになれるというが、それに反発して3年前に家出して魔法使いの弟子になった彼は、魔法を使えばかんたんに幸せになれると誤解している(人生を甘くみている)。

(宮崎駿もそうだし、ハリーポッターやディズニー映画のヒットも含めて世間は魔法ものであふれているが)実は、魔法を使っても幸せにはなれないことを、そして、魔法使いの弟子になってしまった大きな後悔を、暗に、トルビー自身がそれらを自覚しているからこその、美しいがあのさみしい曲想と音色なのだ。

そして、トルビーはフルートを吹いてその音楽によって動物を集めたり、生き人形を操って歩かせ、ふいご島に向かう船に乗せたりするので、やはり彼の原型はパイドパイパーだ。

トルビーは魔法で動物を生き人形に変えたが、師匠のククルックに、目の前の村の人間全部を生き人形にしろと命じられる。トルビーの反応と、180度くらい回り込むカメラワークからして、トルビーはどうやら、今まで一度も、生き人形の素材として人間を使ったことはなかったようだ。しかも、自分の故郷の村でもあり、多分、1日悩む。

思うのだが、ククルックは何とも言っていないが、そもそも、人間を生き人形にさせる最初の第一歩として、偶然を装って、わざと、トルビーの生まれ故郷の村を選んでいる。それはなぜか。トルビーが忠実な弟子であるかどうかを試すためだ。

やはりククルックは何も言わないが、実家のこの2人がトルビーの両親だと知っていて、トルビーが生き人形に変えるのを拒否している(=師匠に反抗している)のを見てとり、ククルックがこの村での最初の餌食として、つまり人間として最初の餌食として、弟子のトルビーの両親こそが最もふさわしいとして、ククルックは「よく見ておいで」と言い、トルビーの目の前で生き人形に変えたのだ。「魔法使いの弟子であるお前は、躊躇せず、命令通りに行動しなければならない」という意味だ。きわめて残酷な描写だ。それは、ククルックが、人間に恨みを持っているから、わざとそうしているのだ。

そして、トルビーの背後にいるその妹の存在には、おそらくユニコが一緒にいたせいで、ククルックも気づかなかったのではないだろうか。

ククルック自体がもともと、操り人形だったので、今や、生き人形だと言える。寂しいから、人間に恨みがあるからという動機もあるだろうが、だからこそ他の存在も生き人形にしたいのだろう。
まず、弟子のトルビーは、生きている人間であり、ククルックの操り人形だから、存在そのものが、すでに生き人形なのだ。
そして他の人間たちも、たとえば日本の総理大臣だろうが、日本銀行総裁だろうが、大企業の社長だろうが、結局は誰かの支配下に置かれているので、本来的には、すでに生き人形なのだ。
動物たちも、人間に環境を破壊され、支配されているも同然なので、本来的に、すでに生き人形なのだ。

生き人形というのは、つまり、生きながら他者に、不当に支配される存在のことを言うのだ。
お前たちは、すでに生き人形なのだから、本当の生き人形にしてあげようじゃないかと、ククルックが考えているのかもしれない。

それで、ユニコには、生き人形にさせる魔法がかからないようだ、と自分は考えている。ユニコは、理不尽な理由で神々に追放された身なので、実質的に、誰からも支配されてはいない。だから、目の前にいるククルックに魔法をかけられても(魔法を潜り抜けたように描写されているが、命中しているはずだ)生き人形に変化しなかったのだろう。トルビーが生き人形の魔法をかけそうになったとき、ユニコを空中に放り投げたのはただの偶然で、接触していると自分にもその魔法がかかってしまうから手放したのだろう。しかし、多分、ユニコにはこの魔法はかからなかったと思える。

あ、そうだ。ユニコは、おもちゃ人形にさせる魔法にはかかってしまい、一度、おもちゃに変身させられている。おもちゃというのは、他人を楽しませるために存在するもので、そういう意味では、ユニコの存在は他人を楽しませるのは間違いないので、そのために、この魔法にはかかってしまったのだろう。

終盤で、何の助けも望めない状況で、小さな善と大きな悪が1:1で対峙し、結果、小さな善が勝つ、というのはスティーブン・キング「シャイニング」を想起させる。そして「シャイニング」の巨大ホテルと同様に、ふいご島は大きな変動に見舞われる。

なかなか、見ごたえと、深みのある作品だ。素晴らしい。

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