あるいは、暴論でしょうか?
この文章の下書きをしながら、途中で、夕食の買い物に行ったのですが、保育園の児童さんを6人くらい乗せたカート(正しくは、「お散歩カート」と呼ぶそうですね)が3台、目の前から、保母さんたちが押してきましたね。その児童たちは、まあかわいい盛りというか、本当にかわいい。でも自分は、その児童たちの顔を見ていると、同時に、火葬場でお骨を拾っているシーンが脳裏に浮かぶのです。「これから大変だなぁ」と思うのです。
自分は、このブログで、日本の人口減少の危機(このまま、毎年100万人レヴェルの人口の自然減が続けば、約120年で日本の人口がゼロになる)を書いておきながら、今日は、真逆のことを書くのですが、人間は産まれれば、必ずいつかは死にますよね? 永遠に生きる人はいませんよね?
産まれたその日に死ぬか、100年後に死ぬかは、神様にしかわからない。
ただ、人間の死亡率は、100%で、(ほぼ)間違いない。
では、その人間の死亡、まあ、老衰、病死、事故死、殺人、自殺、いろいろあるでしょうが、そもそもの人間の死亡の最大の責任は誰にあるのか?
自分は、このブログで、その責任は、行政にあるとか国家にあるとか、国際間の陰謀にあるとか、書いてないけどテロとか戦争とか、そういうベースで書いてきたかもしれませんが、実は違う。
人間の死亡の最大の責任は、子供を、死亡率100%のこの世界に存在させた親のSEXにある。(当たり前すぎる、結論で、面白くなーい!)
でもね、死亡率100%の世界に子供を存在させた、つまり子供の死の根本的な原因は、言い換えれば、子供の真の殺人犯は、その親に他ならない。そういう法律が未開惑星の地球にはどの国にも存在しないだけであり、親が子供を存在させた時点で、親は全員、殺人犯になったのだ。
死亡率100%の世界において、生(子供)を作ることは、死を作ることに他ならない。子供の死に対する責任は、生(子供)を作った親にこそ存在する。
この世界は天国ではない(自分の認識では、地獄に近い)、人間が生きていくのに、とてもふさわしい世界ではないものであると、よほどのバカでない限りは、気が付くでしょう?
そういう堕落した、あるいは危険な世界に、自分の子供を産み、育てるのは、最大の罪ではないのか、と思うのですよね。両親が、ただ気持ちいいからSEXしただけであり、子供はその犠牲になっている。
そして、世間では、子供は愛の結晶だとも言うが、たいていはうそだ。両親は互いの裸を見る段階になって、見てはいけないものが、別の場所に移行しただけなのだ。つまり、頭の中、心の中、そこは見ないで、そういうことです。両親のSEXの時に、それぞれの頭(心)の中にあるのは、別の人間のイメージだ。お互いが、別のもっと好きな人間を思い浮かべて、SEXしている。一種の背徳行為だ。それでできた子供を、愛の結晶などど言えますか? 笑えますな。全部が全部とまでは言いませんが、たいていそうではありませんか?
大人こそが、この世界を、きちんと見ていない、理解していない。いや実は、この地球に本当の「大人」はいないのかもしれませんよ?
話は戻りますが、上記のような死亡原因のほかに、娯楽の多様化、女性の社会進出、mRNAワクチン・・・等々などで、日本の人口は減少に向かっているが、世界的にはどうなのだろう? ネット情報によると「世界人口は増加しています。2024年には81億1900万人に達し、前年から約7400万人増加しました」とのことです。発展途上国もあるし、まあ、そうなのでしょうな。
でも、世界人口の増加は、国連などは「人口爆発だ」と騒いでいるかもしれないが、それも今のうちだけであり、最後は必ず、地球の人口はゼロになる。わかりきっている。それを滅亡と言うのか、絶滅と言うのか、あるいは救済というのかは、各自の自由だが。それがいつになるかが、人間にはわからないだけだ。
でも、一種、この地獄のような地球にもう、産まれなくて済む、というのは、当人にとって、まぎれもない、一種の救済に他ならない、自分はそう思います。なかなか、それ以上の幸せはないのではありませんか?
あるいは、神は本業(?)のほかに酪農を営んでおり、現在のところは、地球という放牧地で、人間という家畜を飼育しているだけなのかもしれません。社畜という言葉がありますが、そうではなく、人類全体が、知的高等生命体だと自負しているが、実際のところ、神の家畜にすぎない。神の子羊と言ったほうが、うれしいでしょうか?


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