祖母と、母と、飼い犬の哲学と知恵と図太さの物語
全11巻を読み終えました。まつ子さんの悩み=毎日の夕飯のおかずを何にするか、これが現在の自分の毎日の悩み(の一つ)と同じであり、若い時に読んだ時とは共感度が全然違うし、まあまあ安いので、全巻を買いそろえました。
この話は全体的に、まあ、笑いが中心ではあるのだが、山田のぼる(=山田くん)の祖母のしげ、母のまつ子(=しげの娘)、飼い犬のポチの哲学(というのか?)が太い柱を形成し、それが山田家を支えている。
さらに、子供の、のぼるとのの子は、第6巻以降は生き生きとしているし、第8巻以降は、散歩嫌いのポチが、いろいろな人と散歩に行くようになっている。
結局、父たかしには、全巻を通じて、稼ぎ柱以上の存在意義をさして感じなかった。父たかしは(この物語の中での位置づけは、語弊を承知で書けば)飼い犬以下の存在でしかない。この軟弱な父よりも、ポチの哲学の方が上位に位置する。この父が生きている価値がない、とまでは言わないが、少なくとも、明らかに何かからパチンコなどに逃避しているこの父には、生きている意味性を感じない。作劇の問題かもしれない。
これは家庭劇であるので、祖母、母の立場が強くなり、父たかしは婿養子であるので立場が弱くなるのは当然としても、あまりに無内容すぎる。そして、それは日本の現代の父親像の実態かもしれないのだ。
実は、第7巻の中盤で、95年1月17日(火)に阪神・淡路大震災が発生する。物語の舞台も、多分、大阪ということもあり、そのあとしばらく笑いが書けなくなったという記憶があったのだが、どうも自分の記憶違いのようで、早々にいつもの調子に戻っていて、こう書いていいのか迷いますが、安心して読んでいられます。
同年3月26日(日)の漫画では、高校野球が始まったが、震災に配慮してブラスバンドとか鳴り物を自粛していると、しげがTVを見ながら「高校野球は始まったけど、なんやしらん、元気がないな」「こういう時は景気づけに、にぎやかな方がええねん」と言う。(いろいろ意見はあるだろうが、年数が30年以上経過した現在だから言えるのだが)作者の見識の高さに、さすがだなと思いました。
「となりの山田くん」は、これがジブリのアニメ映画(「ホーホケキョ となりの山田くん」)に映画化された後、2004年に「となりの山田くん全集」として販売されていた、分厚い漫画本の一部を読んでいるのですが、それがこの全11巻のうち、第9巻や第11巻に掲載されています。
つまり、自分は20年以上前に読んだ内容を覚えているのです。ということは、内容がとうとう、名川柳のようなものに昇華しているのだろうと思います。絵柄と会話に、無駄がなく、簡潔で、覚えやすく、かつ、面白い。
名人の技です。素晴らしい。
全11巻読了後、自分は「となりの山田くん」ロスに陥ってしまいました。この家族の、結構、きついことを言いながらも、心の強い結びつきがある、それがすごく貴重なものに思えるのです。
続編である「ののちゃん」が電子本になればいいのにと期待しています。



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