そもそも、宮崎アニメ映画の主人公たちは、生活費に対する観念が、お気楽な人間が多い。
あのさぁ、まず、クラリスやナウシカは、いずれも王女様だから、カネを払わずに生活できるのはわかるが、そのカネはどこから出ているのか?
「ルパン三世 カリオストロの城」の主人公クラリスは、王、王妃である両親が火事で殺されて、修道院から戻った後は、伯爵が支配するカリオストロの城に住んでいる。カネは全部、伯爵が奪い取り、管理しているのか? 伯爵から小遣いをもらっているのか? 自分の財産はどのくらいあるのか? が全然わからないが、気にしている素振りもないどころか、映画冒頭で、自動車1台だけで、(ウエディングドレスの仮縫い中だから、多分)カネなしで、逃亡を図るって、経済観念が全然ないぞ。
「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカが住んでいる風の谷は、単独で成立しているのに、食料とか大した生産量でもなかろうに、生活に困らないお姫様というのは、どこからそんなカネがでてくるのだ? 風の谷の人口は500人未満とされており、働かない王族を支えるなんて困難に決まっている。さらに、王族の世話をする城オジなんていうのも沢山でてくるが、彼らに支払う給与もどこからでているのか謎だ。そもそも、風の谷単独で成立しているのに貨幣が存在するのかどうか、どこで貨幣を製造しているのか、銀行はあるのかも謎で、物々交換の世界なのだろうか?
「天空の城ラピュタ」では、シータの生活費はどこから出ているのか。何か背後に牛が2頭ぐらい見えたので、酪農をしているようだが、自分の資産なのか? でも子供1人で酪農はできない。 一方、パズーは炭鉱で働いて低賃金のはずだが、親はないのに一軒家に住んでいる。海賊に「出て行け、ここはボクの家だぞ」と言うからには、借家ではない。家賃を払う苦労がなくていいね。この物語は、後述するように、金貨の扱いがおかしい。
「となりのトトロ」の主人公さつきと、メイの父親(草壁タツオ)は東京の大学の考古学の非常勤講師で、翻訳もやっている(Wikipediaによる)。まあ、生活には困らないよな。家事労働には母親が入院中で困るが。
「魔女の宅急便」の主人公キキは、キキの父親(オキノ)は民俗学者で、母(コキリ)は魔法使いで、薬剤師であり、生活には全然困らない。ただし、キキが、13歳という低年齢(日本では義務教育期間中)で、賃金を得て労働することは、児童福祉法か労働基準法の違反にならないのか? キキに宅配の仕事を金銭を支払って、依頼した人たちは何らかの罪にならないのか? グーチョキパン店の店番を時々すれば、キキは、部屋代なし、電話代なし、朝ごはんもついてくるって恵まれすぎている。
「もののけ姫」の主人公アシタカは、朝廷軍と勇敢に戦った、エミシの勇者の血を引く高貴な生まれ。砂金のようなものは持っているようだが、量に限界はあるし、そもそも自分の資産ではないのでは? 村から、追い出される代わりに、村から与えらえたものだろう。すると、タタラ場での生活費はどこから出ているのか? けが人を助けたから、ずっとタダか? アシタカは全然働いていないのに、女性たちから受けがいいのも恵まれすぎ。
「千と千尋の神隠し」の主人公、千は湯婆婆と契約しているから、なにかしらの対価は得ているのだろう。しかし、後述するように湯婆婆(ゆばーば)の経済感覚、経営感覚がおかしい。
「ハウルの動く城」の主人公ソフィーは、老婆に姿を変えられ、動く城に住み着いた後、生活費はハウルの弟子のマルクルが出しているが、それをどう思っているのか。ソフィーは、最初は掃除・洗濯をたくさんやっていたが、途中から全然しなくなった。介護は多少している。生活としては恵まれている。
「崖の上のポニョ」の主人公、宗介の父親(耕一)は内航貨物船「小金井丸」の船長。母親(リサ)は老人福祉施設で働いている。生活には全然困らない。
「君たちはどう生きるか」の主人公、眞人の父親は、軍需工場の経営者である。やはり生活には全然困らない。
なんていうか、宮崎アニメの主人公たちは、一種、経済観念というか、生活費に対する観念に関して、お気楽な人たちが多いわけですな。なぜかというと、宮崎駿自身の生い立ちが、こうだから。
Wikipediaから引用。
「数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、生まれた。・・・親族を含めて軍需産業に携わっていたこともあり、太平洋戦争前から裕福な暮らしをしていたという。」(引用ここまで)
宮崎駿は、お坊ちゃんだからですね。だから経済感覚などが甘い。
一方、高畑勲のジブリのアニメ映画は数は多くないが、「火垂るの墓」の主人公の兄妹は戦争孤児、「おもひでぽろぽろ」の主人公は普通のOL、「ホーホケキョ となりの山田くん」の主人公の山田のぼるの父(たかし)は普通の会社員であり、宮崎アニメの主人公みたいには、恵まれてはいないか、悲惨か。
宮崎駿と、高畑勲で、アニメの主人公が持っている経済観念、生活費に対する観念が、おそらく180度違うと思う。宮崎駿のアニメの主人公が、ものすごく浮世離れしている。それは、宮崎駿自身の経済感覚や経営感覚がおかしいからだ。
宮崎駿の、経済感覚や経営感覚のおかしさ(というか愚かしさ)が一番わかるのが、彼の劇場版第一作の1979年「ルパン三世 カリオストロの城」である。それから、「天空の城ラピュタ」「千と千尋の神隠し」だ。
「ルパン三世 カリオストロの城」で、カリオストロ城の地下には贋金(にせがね)づくりの印刷・製造工場がある。ここで作る贋金はゴート札と呼ばれ、精巧な偽札で、世の中で、問題なく普通に使えるのだ。各国政府から発注がある。ここには、日本の1万円のゴート札もあった。
1万円の偽札であるゴート札1枚を、いくらで売るのだろうか? 1万円以上という価格だったら相手が絶対に買わないし、1万円未満という価格だったら、自分だったら売らないで、自分で使うよ? 当然だよね? だから、贋金づくりを商売でやるって、おかしいでしょうが。贋金づくりは商売として成立しない。経営そのものが成り立たない。宮崎駿の設定がものすごく愚かだ。
次に、「天空の城ラピュタ」で、ムスカが、シータの身柄と交換にパズーに「これはほんのわずかだがお礼だ、とっておきたまえ」と、金貨3枚を渡す。パズーは茫然としたまま。パズーは、その金貨をいったん地面に叩きつけて捨てようとしたが、全部拾う。
海賊のドーラ「ラピュタを最初に見つけた奴に、金貨10枚を出すよ」 海賊たち「じゅ、10枚!?」
このアニメ映画のロケハンは確か、英国に行っているはずで、何か空ばかり見ていたか撮影とかしていたら、現地の人に「日本に空はないのか?」と聞かれたという話を聞いている。とすると、この金貨は、英国のソブリン金貨だ。ソブリン金貨は、「当時のイギリス硬貨にはこの金貨を含め、ほとんどの硬貨に額面表示は無く、その大きさと重量で額面を表していた」(Wikipediaによる)とあり、価値がわからない。というか、それをいいことに、金貨の価値を適当に扱っている気配を感じる。
ラピュタ発見の金貨10枚は、海賊の驚き方からして100万円程度ということはなく、1000万円程度だと思う。すると、シータを売ったのは300万円程度というのは、子供に与えるには多すぎる。だから、地面に叩きつけようとする金貨3枚で人を売り、驚きの金貨10枚でラピュタ発見って、もっと金貨の枚数に差をつけないとおかしい。宮崎駿の経済感覚がおかしいのです。
次に、「千と千尋の神隠し」で、千とリンは上役のいやがらせで、大湯番をさせられる。この風呂は、汚れた客専用の風呂だが、浴槽内部に汚れがこびりついて落ちないので、「一回、薬湯を入れなきゃだめだ」とリンに言われて千が番台に行き、カオナシの手助けで、薬湯の札をもらい、みみずの干物が入った薬湯を入れると、濁って汚れがわからなくなったから、そこで、風呂掃除はおしまい。
基本的に、客は、湯殿に向かうときに番台から薬湯などの札をもらう。それで入れたての熱い湯に入る、というわけでしょう? でも、この大湯は、掃除のついでに入れた湯だから、冷めているよね? それに、客ごとに湯が決まっているからには、事前に客がその薬湯の種類をオーダーしているのだが、オーダーも聞かずに入れた、冷めてしまった湯に、客を入れていいの? さらに、オクサレ様が入店してからは、オクサレ様も、千も、番台から何の札も受け取っていないよね。
オクサレ様を洗浄中の大湯に、千が足し湯をするために、カオナシからもらった札を一枚落とし、もう一枚使う時に、湯婆婆が「千に新しい札、あげたのかい?」と言うからには、番台で最初の札を千に渡して、オーダーに応じた熱い湯を大湯に入れ直してから、オクサレ様が入浴しなくてはならないのだが、そうなってはいない。最初の一枚目の札さえも、千に渡していない。おかしいでしょ。宮崎駿の経営感覚がおかしいのです。
千は、オクサレ様が油屋に入店してきたとき、強烈にものすごく汚れて臭く、他のお客様(こっちも神様)にご迷惑なのに、オクサレ様からは(多分)いつも通り、金貨一枚を受け取っただけであり、隣に湯婆婆がいるのだから、本来は特別料金を徴収しなければおかしい。それなのに、湯婆婆が千に「早くご案内しな」と入店させてしまう。あとで「千とリン、このかたはオクサレ神ではないぞ」と言うからには、湯婆婆は、オクサレ様の相手をしたことが過去に一度もない、と思われるので、油屋には、オクサレ様用の料金設定というものが今まで存在しておらず、だからこそ、初めてのオクサレ様の入店時に、湯婆婆は急いで頭の中で、特別料金を算定しなければいけないのに、通常料金で入店させてしまう愚かしさがある。
ここは、湯婆婆は「お客様は特別ですので、(料金表示にはありませんが)通常料金の2倍(あるいは3倍)頂きませんとなりません。それが無理であれば、お引き取りください」とオクサレ様に交渉しないとおかしい。それが経営責任者というものだ。
さらに、オクサレ様の洗浄に薬湯を2回(札は3回か)使っており、2回目の薬湯は「あんな高価な薬湯を」「釜じいが最高の薬湯をおごってくれるって」という高価なもので、それをありったけ、ゴウゴウと流しながらオクサレ様の浄化をすると、砂金が現れ、大した量でもなかろうに、湯婆婆が大喜びで「よくやったね、千、大儲けだよ」と言う。そんなに砂金はない(だってそんなに映っていない)はずで、儲かるどころか、全然、もともとれていないと思う。
あと、カオナシに料理を沢山出して、かわりにカオナシが投げた金を積み上げてあるが、湯婆婆が「このままじゃ大損だ。ありったけ金を出させて・・・」と言う割には、この料理はすべて泥でできており、魔法で食品に見えるだけ。損も何もない。そもそも、カオナシがおかしくなっているのは、無銭飲食のせいで、だから泥の影響が出ており、従って、この金は偽物なのだ、と気づかない湯婆婆が、経営責任者として無能すぎる。
千の両親が、無銭飲食のために泥の食物を食べて、豚になったことを知っているくせに、湯婆婆は、カオナシが無銭飲食でおかしくなっていることがわからない。経営責任者として無能すぎる。
さらに、千が苦団子を食べさせて泥を吐き出させたカオナシが、千を追いかけ始めると、湯婆婆が「お客様とて許せぬ」と光の円盤をカオナシに放つが効果はなく、カオナシが吐いた泥に埋まってしまい、カオナシを止めることができない。無銭飲食しているものを「お客様」と呼んでおり、泥の影響が出ていて、それが暴れていても止めることさえできない。従って、この金は偽物なのだ、と気づくこともない、そういう湯婆婆は、経営責任者として無能すぎる。
「千と千尋の神隠し」は、裏読みしている人は大勢いると思うが、裏読みされて、読み解かれても、それでも会話や登場人物の認識などが成立しないとおかしいのだが、この作品は破綻している。
「ルパン三世 カリオストロの城」もそうだったが、宮崎駿は、贋金(にせがね)、偽(にせ)の金を物語で扱うと、突然、物語のレヴェルが下がってしまう。彼の経済感覚、経営感覚が鈍いからだろうか。
それから、銭婆の元から帰ってきたハクと千が、油屋に戻った朝、油屋は「臨時休業」と大きな札が出ているが、宿泊している神様たちが油屋にいる。その日は、すべての客を油屋から追い出さないとおかしい。休憩や準備中ではなく、休業でしょうが。
湯婆婆、つまり宮崎駿の経済感覚、金銭感覚、あるいは経営感覚が明らかにおかしい。あのね、カオナシの金が偽物だと湯婆婆が気づかないのは彼女が愚かだからだ、というのはわかるが、それ以外の部分は宮崎駿が愚かだからである、と判断するしかない。
宮崎駿は、学習院大学を卒業しているのだが、学習院大学では経済学や経営学を教えていないのかね? 明らかに、宮崎駿は経済学オンチ、経営学オンチを隠している。だから、彼のアニメ映画の主人公たちは、経済観念、生活費に対する観念などに関してお気楽な人間が多いし、経済的、経営的におかしな場面がでてくるのだ。
まぁ、経済学オンチ、経営学オンチでも、米国アカデミー賞は2回受賞できるのだから、映画監督はトクだよね。でも、ただ、審査員の見る目がないだけだったりして?


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